森喜朗会長の発言は女性蔑視にあたるか?
東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が3日の日本オリンピック委員会(JOC)評議員会で「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と発言した問題を巡り、森会長は4日、毎日新聞の取材に応じ、「女性を蔑視する意図は全くなかった」と釈明した。
1.彼の発言は偏見なのか
そもそもは、個人的に経験した事実に対する心象を述べただけであると思われる。
女性蔑視にあたるとまでは思っていなかったろうし、ましてや女性を蔑視するために言ったとも思えない。
恐らく彼の参加している数多の会議の中で、女性が多く参加している理事会に時間がかかる傾向があったのは事実であろう。
その上で彼の発言は、単なる偏見に過ぎないのか、ある程度の事実が含まれているのかを考えて欲しい。
2.事実無根であるのか。
彼の参加した理事会の女性参加数と理事会の開催時間の相関を、厳密に調査した上での発言であれば問題なかったのか。
実際にそのような傾向が、統計的に有意な結果が得られていれば、問題なかったのか。
3.事実であったとしても
たとえ事実であったとしても、その根底に「女性が入っているから」との思い込みがあったのは事実なのか。
そのような思い込みのある者が重要なポストにいることが問題なのか。
たとえ事実であったとしても、女性蔑視と受け取られかねない発言はしてはいけない。
たとえ事実であり、理事会の運用に支障が出ていたとしても、女性問題にかかわりそうなことは、全て黙っていなければならない。
事実であるならば、個人を名指しして非難すれば良い。結果的に女性が多い分には問題ない。
結果的に女性が多いことが明白であれば、たとえ事実であったとしても、「女性」の言葉を使わなかったとしても、その発言は許されないのか。
4.それを発言したことが問題
たとえ事実であったとしても、それを公の場で口にしたことが問題なのか。
たとえ事実であったとしても、女性蔑視と捉えられるような発言の仕方をしたのがいけなかったのか。
たとえ女性を蔑視していたとしても、それを隠すような配慮が出来ればOKなのか。
5.そもそも、この発言は女性蔑視なのか
「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」が女性蔑視になるためには
・理事会に時間がかかることは、悪である
・理事会に時間がかかるのは、参加者のレベルが低いから
の2つの前提が満たされる必要がある。
「女性がたくさん入っている理事会は時間が短い」という発言なら、女性蔑視にならないのか。
「女性がたくさん入っている理事会は多数の意見が出る」という発言なら、女性蔑視にならないのか。
「女性がたくさん入っている理事会は活発な意見交換が行われ十分な討議が行われる」という発言なら、女性蔑視にならないのか。
そもそも「女性が」という言葉が入った発言は全て性差別であり、女性蔑視になるのか。
では「男性」という言葉が入った発言も全て性差別であり、女性蔑視になるのか。
「女医」「女優」「男性介護士」「女性パイロット」などの言葉が入った発言は、全て女性蔑視になるのか。
6.性差別=女性蔑視なのか
男性蔑視になる発言はあるのか。
性差別に当たる発言で、男性蔑視になる発言はあるのか。
どんな発言であっても、性差別は必ず女性蔑視になるのか。
7.なぜ「女性がたくさん入っていると、理事会に時間がかかる」のか
男性は要点のみを的確に発言するが、女性は自分の言いたいことを全部言わないと気が済まないから。
男性は殆ど発言しないが、女性は男性よりも多く発言する傾向があるから。
男性は殆ど他人の発言に反論しないが、女性は男性よりも他人の発言に反論する傾向があるから。
男性は意見を求められれば直ぐに言えるが、女性はなかなか意見をまとめられずにぐずぐずしているから。
男性と女性の考えた方や観点に違いがあるので、男性だけの会議よりも単純に2倍の意見が出るから。
8.それは、女性だからなのか
単純に理事会に「考え方の異なる者が多く参加」していれば、会議の時間が長くなるだけではないのか。
女性が多い=考え方の異なる者が多く参加している。に過ぎないのではないか。
そうだよ、それをあくまでも女性が悪いような発言をしているから、看過出来ないんだよ。と、そういうことなのか。
9.理事会に時間がかかるのは悪なのか
森会長と同年代の者ばかりの理事会なら、時間がかからないのか
理事会など義務感で出席している人の多い理事会なら、時間がかからないのか
理事会よりも、その後の会食が目当てで集まっている人が殆どの理事会なら、時間がかからないのか
理事会は事務作業なので特に何も変える必要などないと考えてるいる人の多い理事会なら、時間がかからないのか
熱意に溢れ多くの議論が交わされる理事会なら、時間がかからないのか
本当に社会を変えたいと思っている人々が集まる理事会なら、時間がかからないのか
慣例をそのまま踏襲すれば良いと思っている人が集まる理事会なら、時間がかからないのか
時間がかからない理事会=良い。時間がかかる理事会=悪。という単純な考え方に問題はないのか
ここまであえて「男性/女性」の言葉を使わずに書いたが、ダメダメな会議の描写で、あなたは男性ばかりの会議の場面を想像していなかったか。
だとしたらそこには、性差別的な思い込みがあったのではないのか。
私の思考は、完全に性差別と無縁であると、自信をもって宣言出来る者がどれほどいるのか。
10.森会長は辞任すべきか
本人は反省しているので続投で良い
本人は反省などしていない。即刻辞めさせるべき
反省していようとしていようとしていまいと、女性蔑視の発言を一度でもしたら、即刻辞めさせるべき
そもそも進退云々を騒ぐような問題ではない
それは甘い。そんなことがまかり通るのは日本だけ。
海外メディアの発言が全て正しいのか。
「東京オリンピックのトップが女性蔑視発言」との煽り記事だとPVが稼げるから載せているだけなのか。
女性蔑視を糾弾することが正しいことであるから、そうしているのか。
女性蔑視する者の考え方を、改めさせることが目的なのか。
女性の敵は全て倒せの旗印の元に盲進することに疑念を感じないのか
11.森会長が辞任すれば、世の中が良い方向に進むのか
人にはそれぞれ、異なった価値観がある。
どの意見が正しくて、どの意見が間違っているのか。
白黒はっきり出来る場合と、そうでない場合がある。
殆どの人が片方の意見に賛同する場合から、ほぼ半々に分かれる場合まで、その割合は様々だ。
その一つ一つのケースについて、どちらが正しくて、どちらが間違っているのか。
そのジャッジをすることは、不可能である。
逆に可能であったとしても、それをする必要があるのか。
どちらが正しくて、どちらが間違っているのかをはっきりさせる。
その意図の根本には、自分が正しいと信じる旗印の元に、異なる意見を持つものを平伏さなければ気が済まない。との人間の性が露見している。
どちらかが、どちらかの意見に服従しなければ、社会は成り立たないのか。
人にはそれぞれ、異なった価値観がある。
どんなに気の合う相手であっても、「この事に関しては意見が異なる」部分は必ずある。
それを一つ一つ、どちらが正しいかをはっきりとさせ、どちらかにどちらかを服従させなければ付き合えないのであれば、人はもう誰とも一緒に暮らすことは出来ない。
肝心なのは、相手の立場や考えを理解し、尊重し合うことではないのか。
決して、自分の意見に相手を服従させることではないのではないか。
一時の勝利を得るたびに、大きな何かを失ってはいないか。
だとしても、今回に限って言えば、女性蔑視する者が正しいはずがない。
そう思われるかもしれないが、本人も女性蔑視をする意図はなかったと言っている。
そんなのは嘘だと決めつける。そんな人間がトップにいることが問題。
どんな理由であったとしても、自分と意見が異なる者を引きずり降ろそうする行為は、多数派の意見に少数派を服従させようとする暴力に他ならないのではないのか。
もう一度言うが、肝心なのは、相手の立場や考えを理解し、尊重し合うことではないのか。
森の考えを尊重しろと言っているのではない。
自分の瑕疵を認めている相手を、「それは本心ではない」と決めつけて、引きずり降ろそうとするその行為が、問題であると言っている。
どらが正しいか?それをはっきり出来ない問題の一つに宗教の違いがある。
どちらの神が正しいのか?
世界的な紛争の多く、過去から現在に至るまでの紛争の多くが、宗教が異なることに端を発しているのは、それがどちらが正しいかをジャッジ出来ない問題であるからであろう。
自分と考えが異なる者を、自分の宗派に改宗させなければ気が済まない。
自分と考えが異なる者を敵とみなし、排除しなければ気が済まない。
自分と同じ考えに、心から同意しない限り、許すことが出来ない。
そんな考え方がまかり通る限り、世界平和など実現するはずがないのではないか。
オリンピック憲章が重視するのはどちらなのか。
性的偏見を持つものを社会から排除することなのか。
意見の異なる者でも互いに歩み寄れる道を探すことなのか。
とは言え、普段の会議の場で、「それは女性蔑視です。」と指摘したところで、何も変わらないのも事実である。
今回の様な世間が注目する機会に発言することにより、大きな注目を集め、より良い明日への道を切り開くための、一歩を進めることが出来る。
我が国においては、今回の事例であったとしても、海外メディアの援護射撃がなければ、これほど世論を巻き込む結果になったかは、甚だ疑問だ。
「女が入るとめんどくせーんだよな。」と、そう思うものが上層部に多いことは確かだ。
だがそれは時として「若造がいるとめんどくせーんだよな。」との反応とも同じだ。
ことの根底にあるのは、単純な女性蔑視感だけではないし、ことあるごとに「女性蔑視」のみを取り沙汰していれば、「女が入るとめんどくせー」との認識を助長させるだけに終わってしまわないか。
世の中にはもっと実力勝負で、女性の地位向上に貢献している者も多い。
それなりの実力が必要だし、そこまでの信頼を勝ち取るためには、男であっても相当の努力と信念が必要だ。
どうか、そんな彼女達の、血の滲む様な日々の努力の妨げにならないで欲しい。
「だから女はめんどくせー」との、対立関係に持ち込んではいけない。
今後も森氏に会長の座に留まって、今回の件の反省から、女性の立場を向上させることに尽力して頂こうではないか。
それとも、「女性の立場を向上させること」に男性の力を借りることを推奨するのは、女性蔑視なのか?
森喜朗会長の発言は女性蔑視にあたるか?
■女性を蔑視しようとする意図が明らかだ。
■責任ある立場のものが、女性蔑視と捉えられるような発言をしたら、それは女性蔑視である。
■本心はどうでも良い。公の場で女性蔑視と捉えられるような発言をしたら、それは全て女性蔑視である。
■悪意があろうとなかろうと、その言葉を聞いて不快に思うものがいれば、それは女性蔑視である。
■外国メディアも女性蔑視と言っている。日本の男は頭おかしい。
■発言の内容よりも、オリンピック委員会の会長が、女性を蔑視していることが問題。
■ただの失言であり、謝罪もしている。何をそんなに騒いでいるのか不明。
■これを「ただの失言」と思っている者が一人でもいる限り、声を上げ続けなければならない。