森会長は辞任するべきか?

前回も書いたが、そもそも森会長の発言は「女性蔑視」なのか?

 

今回の件で日本ラグビー協会の理事、稲沢裕子氏はインタビューにこう答えている。

 

自分のもともとの仕事が新聞記者だったこともあり、理事会ではささいな疑問も遠慮せず質問した。「非常に長引かせた張本人だと思う」。会議の場では矢継ぎ早に問いを投げかけ、森氏に制止されたこともあった。「そんなことは、直接担当者に聞けば良いじゃないかと思われたのは当然」と苦笑する。

 

つまり、

 

稲沢裕子という女性理事が入ったことにより、直接担当者に聞けば良いようなささいな疑問を矢継ぎ早に投げかけたことにより、会議を非常に長引かせた。

 

という事実があったことを、女性理事本人が認めている。

 

日本ラグビー協会の5人の女性理事の1人、谷口真由美氏も、取材に応じ、「(女性理事は)基本的に発言すべき事を、すべきタイミングで、物怖じせずに発言されている。発言をよくするのは事実。」と認めている。

 

森会長の経験では「女性がたくさん入る理事会は時間がかかる」のは、紛れもない事実である。

 

それをどのような口調、どのような表情で言ったのかは不明だが、事実を言っただけであるのに、それを女性蔑視だと解釈し、騒ぎ立てるのは何故なのか。

 

「それをあたかも女性であることが原因のように言うのがいけない。」

「そのような古い考え方をする者が会長であることが問題」

 

との意見らしい。

 

そもそも森会長は、たまたま女性理事が多い会議に現れて、「女は話が長いな」と、批判しているのではない。

 

「旧体制では“密室政治”と指摘される理事会運営が続き、19年6月の改選期直前に体制刷新に動いたのが、他でもない森喜朗氏。その結果、谷口氏は理事に就任し、理事会の議論が活発化した。」

 

旧体制の理事会運用ではいけない。新しい風を入れて、理事会運営を刷新しなければならない。

 

そう、考えて、実践した人だ。

 

恐らくは「女性理事も必要」との判断があっての女性理事の採用であろう。

 

森会長=昔の男性=女性蔑視

 

との単純な偏見で、他人を中傷しているのは、どちらなのか。

 

物事の一部だけを取り上げて、執拗に人を貶めようとする、野党議員の発言をそのまま鵜呑みにしてはいけない。

 

そもそも今回の件で、森会長に辞任を訴えている者は、一体何を求めているのか。

 

女性差別をするような者を引きずり下ろすことによって、留飲を下げようとしているのか。

 

女性を侮蔑するとも取れるような発言をする者に制裁を与えることにより、そのような考え方をする者が、真剣に反省することを期待しているのか。

 

女性差別をするような者を辞任に追い込むことによって、社会が性差別の問題に関心を持って、世の中が改善されることを目指しているのか。

 

現時点では、森会長が辞任する=女性及び女性に理解を示す者の勝ち。森会長が辞任しない=女性及び女性に理解を示す者の負け。との、単純な勝ち負けの問題となり、対立を煽っているだけになっていないか。

 

今回の件で森会長が辞任した場合、「一回の失言で辞任しなければならない。女性を理事に入れるとやっかい。」と、女性を理事に迎えることを躊躇するケースが増えることが懸念される。

 

女性の立場を向上させることにマイナスになる側面については、何も考えなくて良いのか。

 

「これを失言と思っていること自体が問題。心から女性の地位向上を願っている者が代表になるべき。」

 

代表になる者は、心からそう願っているものしか、なってはいけないのか。

 

どこに居るんだ?具体的には、誰なんだ?

 

「女性の地位向上を、心から理解しているが、何かを変える程の実行力を持たない者」

「女性蔑視とも取れるような発言をうっかりとすることがあるが、実際に女性を理事に迎えたりなどの行動の取れる者」

 

女性の地位向上に必要な人材はどちらか。

 

「もちろん、女性に対する差別感が全くなく、心から女性の地位向上を願い、失言などたった一度もすることなく、実際に組織に女性を迎え入れたりなどの行動を起こして、それなりの成果を上げる力のある者」

 

さあ、誰なんだ、それは。

 

辞めろ、辞めろと、声高に叫ぶのは良いが、その後のことを、どれだけ考えているのか。

 

貴方の訴えが通った場合、社会はどれほど良くなるのか。

 

「それを選ぶのは私たちの仕事ではない。我々の訴えを理解して、それに合った人をちゃんと選ぶ責任が、オリンピック協会にはある。」

 

私にはそれは、無責任過ぎるように感じられる。

 

海外に比べて日本が遅れているのは、性差への認識云々の前に、他人と議論して物事を進めて行くという能力なのではないのか。

 

お互いに自分の意見を言い、相手を理解し、相手を尊重した上で、ものごとを決定して行く。

そういった体験を一切しないで社会人になる者の、なんと多い事か。

 

その結果として「自分と意見の違うものは辞任しろ!」などの、0か100かのどちらかを選択させるような考え方しか出来ない。

 

0と100の間にある無限の可能性。

 

貴方の意見の80は認めるが、この20の部分については認めて欲しい。

 

そのような対話の末の解決策を模索することが、なぜこれほど困難なのか。

 

森会長は辞任するべきか?

 

■女性蔑視をする者には制裁が必要。

■女性蔑視と捉えられるような発言を一度でもしたら、辞任するべき。

■女性蔑視発言をした者が辞任しないなど、日本は遅れている。

■この発言を女性蔑視だと思わない、日本男子がおかしい。

■女性蔑視発言でどれだけの女性が苦しんだのかを全く理解しないものは辞任するべき。

■言葉尻を論って被害者ぶり、人を引きずり下ろせば達成感を得られるのかもしれないが、それが女性の地位向上には繋がらない。

■だから女はめんどくせー。との対立を冗長するだけ。

■辞任させればそれで決着がつくのか?意見の異なるものが対話をすることでのみ、世界はより良い方向に進んで行くのではないか。