ワクチン陰謀論

ネットでは、ワクチン陰謀論を標榜するのが流行っているようだ。

 

まぁ、真剣に若者は打つ方がリスクが高いと、心配している向きもあるようだが、本音は「ワクチンは危ない」と煽った方が、「いいね」が稼げるからであろう。

 

または、政府に反抗するのはカッコイイと、自分を英雄化して悦に入っているのか。

 

また、それを読んだ者が、「テレビしか見ない愚か者は皆騙されている。私は賢いから、そんな陰謀には騙されない」と、悦に入って吹聴しているようだ。ママ友グループのボス的な存在にありがちなタイプだ。

 

ワクチン接種後に死亡した例がかなり報告されているが、それに対しての政府の腰の引けた「因果関係が認められた者は0人、因果関係が認められない者1人、残りの700人超の者はデータ不足ではっきりしない。」との発表がまた、付け入る隙を与えている。

 

「事実は全部発表する」ようなことを盛んに言っていたが、それは「国民には隠し事をしない」との意味であったはずだ。

それを逆手に取って「100%事実であると確定したことしか発表しない」のが、政府の現状である。

 

この手の因果関係に対して、100%とか0%とか言い切ることは特殊な例を除いて不可能である。だが、事例ごとに見て行けば、「これは80%位の割合でワクチン接種の結果であると疑われる」とか「まず、関係ない。1%以下」とか「この事例については、本当に因果関係があるのかないのか解らない」などの判定は、現時点でも出来ているはずである。

 

本来は、そこまで発表しなければ、国民の判断の助けにならないという点では、何も発表しないのと同じである。

 

ワクチン接種は、老若男女を問わず、国民の一定数が接種完了しなければ、全体としての効果が薄いことは自明であるので、国はなんとかその比率を高めたい。

 

5年後、10年後に、なんらかの深刻な副反応がある可能性は0ではない。だが、10年後の結果が出るまで、このまま経済を止めているわけには行かないし、それが10年なのか50年なのか、判断することも出来ない。

 

「10年ぐらいは様子を見るべき」との意見があったしても、「10年なら大丈夫なのか?」との質問に対して、「10年で大丈夫」とはっきり答えらる者はいない。

 

「10年ぐらいなら、大丈夫だと思う」程度の理由で言っているのであれば、現時点でも治験の結果や他国の状況を見て「大丈夫だと思う」との判断をして、ワクチン接種に踏み出しているのであるから、言っていることは何ら変わらない。自分達の言っていることのみ、何の論理的説明なしに正当化して、勝ち誇っていられるのは何故なのか?

 

ワクチン接種を行うか行わないか。誰が総理大臣になったとしても、反対を騒いでいる者に決断を委ねたとしても、総合的に判断すれば、ワクチン接種を行うしかない。

 

実施せずに、死ぬに任せるという判断も、あることはある。数%の者が確実に亡くなることを許すのか、将来数十%の国民が何らかのワクチン後遺症に陥る可能性から守る方を選択するのか。

 

反対派なり陰謀論者なりが、「将来的な危険性が0%でないので、数%の死亡者が出るのは止むを得ない。」と、はっきり言っているのであれば、それはそれで一つの意見である。だがただ「危ない危ない」と騒いでいるのは近視眼的な戯言に過ぎない。

 

前置きが長くなった。

 

今、政府がしなればならないのは、今後の方針をはっきりとしておくことだ。

政府が(または専門家が)目指す数値に達する前に、ワクチン接種率はパタッと止まることになる。

その時には、緊急事態宣言などの政策を、全て解除することを宣言しておくしかない。

 

解除後に、ワクチン接種を拒んだ者が、何万人死のうが、それはそれで仕方ない。

そのとばっちりで、何らかの理由で本当にワクチン接種が不可能な者が巻き添えを食うのも致しかたない。それらを全部救うような魔法の力を、現政権は保有していない。と。

 

いやなら、ワクチンを接種しなさい。または全く人と接触せずに暮らしなさい。という単純な話である。

 

これをワクチン接種が止まった時点で言っても、また非難され、反対派をつけ上がらせるだけである。

 

その前に「政府としては、あの手この手でワクチン接種率を上げる努力をしている。だが、誤った陰謀論や、慎重な者など、ワクチン接種を受けない者が一定数出ることははっきりしている。政府としては80%を目標としているが、それが達成されなくとも、新規ワクチン接種者が一日100名を切った時点で、全ての経済的制約を取りやめる。その後もワクチン接種自体は続行するので、気が変わった場合にはいつでも接種することが出来る」と。

 

ワクチン接種を完了した者に、有利なクーポン相当を発行するのも必要な手段だ。

諸外国では実施されているにもかかわらず、日本では議論すらされていない。

 

「ワクチン接種の有無によって差別があってはならない」と、人権派が横槍を入れてくるのを懸念してしるようだ。

 

バカではないのか?それは差別ではない。ワクチン接種者を優遇しているに過ぎない。

 

本当に何らかの理由でワクチンを接種出来ない者に対しての考慮は、それは必要である。

 

だが「怖いから」「他の人は騙されている。私は10年は様子を見る。」「他の人が打ってくれればコロナはなくなるらしいから危険を犯す必要はない」などの人々が、その恩恵に預かれないのは、当然である。

 

恩恵が欲しいなら、ワクチンを打てば良いだけの話であるので、差別はされていない。

 

差別とは、自分ではどうしようもない理由で、不当な扱いを受けることだ。

 

しかもその恩恵がなけば、生きて行けない、生きて行くのが非常に辛い。といた深刻な事態に陥るわけでもない。

 

自分はリスクを避け、他の人がそのリスクを負うことを望んでいるのであるから、リスクを取った者に恩恵が与えられるのは、当然のことである。

 

それを「非ワクチン接種者に対する『差別』」と言うのは、あまりにも乱暴である。

 

なんでもかんでも、ただ「人権、人権」騒ぐのは、バカにしか見えない。

 

てなことを、ちゃんと国民に話せよ。陰でこそこそやってないでさ。