安倍元首相銃撃は「民主主義への挑戦」なのか

襲撃のあった7月8日(金)の夕方には既に、犯行の動機は「政治信条に対する恨みではない」との犯人の供述があった旨が報道されている。

 

自民党は慎重に民主主義の根幹である選挙が行われている中で起きた卑劣な蛮行であり、決して許すことはできない」との言い方をしているが、翌日になっても「民主主義の根幹を揺るがす事件」のような言い回しが使われていた。

 

そもそも「民主主義」とは何か?

 

Wikiを読んでもイマイチ解り難いが「国王や貴族などの特別な地位にある物が政治を行うのではなく、民衆が政治を行うこと」の意味で良いであろう。

 

そして日本の場合は「自分の代表者(議員、大統領など)を選出し、実際の意思決定を任せる方法・制度である。」ところの「間接民主主義」のことを指す。

 

そこで重要になるのが「自分の代表者を選出」するための「選挙」であり、選挙こそが「民主主義の根幹」であるとの主張だ。

 

ここまでは良い。

 

今回の銃撃事件により、この「選挙制度」が脅かされた。と主張しているようであるが、今回の事件は「選挙を妨害するため」に実行されたのではないし、ましてや「自民党の選挙活動を妨害して、選挙の結果が自分の政治信条に近い側に有利に働くように」実行されたわけでもないし、自民党の主張を封殺しようとして行われたことでもない。

 

「理由はどうあれ『選挙活動』という『民主主義の根幹』に関わる活動を妨害したのは確かである。」との批判であるのであれば、まぁ受け入れないでもない。だが今回の事件を「民主主義への攻撃」であると主張する、そしてその主張をそのまま報道することは、間違いである。ちょっと控えめに言ったとしても「誤解や正確な情報に基づいていない勘違いの恐れがある」のは確かだ。

 

ましてや選挙期間中の報道である。日本人の気質を考えれば「同情票」から「自民党」への投票率が高まる恐れは、十分に考えられたはずだし、早い段階からそのような指摘があった。

 

結果はご存知の通り、自民党議席を伸ばし、その背景に「同情票」があった可能性は非常に高い。(←を否定する人は、この先議論にならないので、抜けて欲しい)

 

であれば「民主主義への攻撃」などの主張や、それをそのままニュースとして報道することこそが、個人の投票という行動に対して、特定の政党に対して有利に働くような影響を与えたことになる。

 

ここで私が問題にしたいのは、今回自民党議席を増やした背景には、銃撃事件という直接的な理由と、それを「民主主義への攻撃」と主張し、あたかも「自民党の主張を封殺するために行われた暴挙」であるかの印象を、民衆に植え付けた議員の発言やそれをそのまま注釈なしに報道したという間接的な理由があったことである。

 

これこそ「民主主義の根幹」を脅かす行為ではないのか。

 

今回の事件を理由に他の党派から自民党に乗り替えた者、選挙に行く気がなかったが「民主主義への攻撃」に負けてたまるかと同情票を投じた者、次の選挙まで自民党の言いなりになる覚悟はちゃんと出来ているのであろうか。