森会長は辞任するべきか?

前回も書いたが、そもそも森会長の発言は「女性蔑視」なのか?

 

今回の件で日本ラグビー協会の理事、稲沢裕子氏はインタビューにこう答えている。

 

自分のもともとの仕事が新聞記者だったこともあり、理事会ではささいな疑問も遠慮せず質問した。「非常に長引かせた張本人だと思う」。会議の場では矢継ぎ早に問いを投げかけ、森氏に制止されたこともあった。「そんなことは、直接担当者に聞けば良いじゃないかと思われたのは当然」と苦笑する。

 

つまり、

 

稲沢裕子という女性理事が入ったことにより、直接担当者に聞けば良いようなささいな疑問を矢継ぎ早に投げかけたことにより、会議を非常に長引かせた。

 

という事実があったことを、女性理事本人が認めている。

 

日本ラグビー協会の5人の女性理事の1人、谷口真由美氏も、取材に応じ、「(女性理事は)基本的に発言すべき事を、すべきタイミングで、物怖じせずに発言されている。発言をよくするのは事実。」と認めている。

 

森会長の経験では「女性がたくさん入る理事会は時間がかかる」のは、紛れもない事実である。

 

それをどのような口調、どのような表情で言ったのかは不明だが、事実を言っただけであるのに、それを女性蔑視だと解釈し、騒ぎ立てるのは何故なのか。

 

「それをあたかも女性であることが原因のように言うのがいけない。」

「そのような古い考え方をする者が会長であることが問題」

 

との意見らしい。

 

そもそも森会長は、たまたま女性理事が多い会議に現れて、「女は話が長いな」と、批判しているのではない。

 

「旧体制では“密室政治”と指摘される理事会運営が続き、19年6月の改選期直前に体制刷新に動いたのが、他でもない森喜朗氏。その結果、谷口氏は理事に就任し、理事会の議論が活発化した。」

 

旧体制の理事会運用ではいけない。新しい風を入れて、理事会運営を刷新しなければならない。

 

そう、考えて、実践した人だ。

 

恐らくは「女性理事も必要」との判断があっての女性理事の採用であろう。

 

森会長=昔の男性=女性蔑視

 

との単純な偏見で、他人を中傷しているのは、どちらなのか。

 

物事の一部だけを取り上げて、執拗に人を貶めようとする、野党議員の発言をそのまま鵜呑みにしてはいけない。

 

そもそも今回の件で、森会長に辞任を訴えている者は、一体何を求めているのか。

 

女性差別をするような者を引きずり下ろすことによって、留飲を下げようとしているのか。

 

女性を侮蔑するとも取れるような発言をする者に制裁を与えることにより、そのような考え方をする者が、真剣に反省することを期待しているのか。

 

女性差別をするような者を辞任に追い込むことによって、社会が性差別の問題に関心を持って、世の中が改善されることを目指しているのか。

 

現時点では、森会長が辞任する=女性及び女性に理解を示す者の勝ち。森会長が辞任しない=女性及び女性に理解を示す者の負け。との、単純な勝ち負けの問題となり、対立を煽っているだけになっていないか。

 

今回の件で森会長が辞任した場合、「一回の失言で辞任しなければならない。女性を理事に入れるとやっかい。」と、女性を理事に迎えることを躊躇するケースが増えることが懸念される。

 

女性の立場を向上させることにマイナスになる側面については、何も考えなくて良いのか。

 

「これを失言と思っていること自体が問題。心から女性の地位向上を願っている者が代表になるべき。」

 

代表になる者は、心からそう願っているものしか、なってはいけないのか。

 

どこに居るんだ?具体的には、誰なんだ?

 

「女性の地位向上を、心から理解しているが、何かを変える程の実行力を持たない者」

「女性蔑視とも取れるような発言をうっかりとすることがあるが、実際に女性を理事に迎えたりなどの行動の取れる者」

 

女性の地位向上に必要な人材はどちらか。

 

「もちろん、女性に対する差別感が全くなく、心から女性の地位向上を願い、失言などたった一度もすることなく、実際に組織に女性を迎え入れたりなどの行動を起こして、それなりの成果を上げる力のある者」

 

さあ、誰なんだ、それは。

 

辞めろ、辞めろと、声高に叫ぶのは良いが、その後のことを、どれだけ考えているのか。

 

貴方の訴えが通った場合、社会はどれほど良くなるのか。

 

「それを選ぶのは私たちの仕事ではない。我々の訴えを理解して、それに合った人をちゃんと選ぶ責任が、オリンピック協会にはある。」

 

私にはそれは、無責任過ぎるように感じられる。

 

海外に比べて日本が遅れているのは、性差への認識云々の前に、他人と議論して物事を進めて行くという能力なのではないのか。

 

お互いに自分の意見を言い、相手を理解し、相手を尊重した上で、ものごとを決定して行く。

そういった体験を一切しないで社会人になる者の、なんと多い事か。

 

その結果として「自分と意見の違うものは辞任しろ!」などの、0か100かのどちらかを選択させるような考え方しか出来ない。

 

0と100の間にある無限の可能性。

 

貴方の意見の80は認めるが、この20の部分については認めて欲しい。

 

そのような対話の末の解決策を模索することが、なぜこれほど困難なのか。

 

森会長は辞任するべきか?

 

■女性蔑視をする者には制裁が必要。

■女性蔑視と捉えられるような発言を一度でもしたら、辞任するべき。

■女性蔑視発言をした者が辞任しないなど、日本は遅れている。

■この発言を女性蔑視だと思わない、日本男子がおかしい。

■女性蔑視発言でどれだけの女性が苦しんだのかを全く理解しないものは辞任するべき。

■言葉尻を論って被害者ぶり、人を引きずり下ろせば達成感を得られるのかもしれないが、それが女性の地位向上には繋がらない。

■だから女はめんどくせー。との対立を冗長するだけ。

■辞任させればそれで決着がつくのか?意見の異なるものが対話をすることでのみ、世界はより良い方向に進んで行くのではないか。

 

 

森喜朗会長の発言は女性蔑視にあたるか?

東京オリンピックパラリンピック組織委員会森喜朗会長が3日の日本オリンピック委員会JOC評議員会で「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と発言した問題を巡り、森会長は4日、毎日新聞の取材に応じ、「女性を蔑視する意図は全くなかった」と釈明した。

1.彼の発言は偏見なのか
そもそもは、個人的に経験した事実に対する心象を述べただけであると思われる。
女性蔑視にあたるとまでは思っていなかったろうし、ましてや女性を蔑視するために言ったとも思えない。
恐らく彼の参加している数多の会議の中で、女性が多く参加している理事会に時間がかかる傾向があったのは事実であろう。
その上で彼の発言は、単なる偏見に過ぎないのか、ある程度の事実が含まれているのかを考えて欲しい。

 2.事実無根であるのか。
彼の参加した理事会の女性参加数と理事会の開催時間の相関を、厳密に調査した上での発言であれば問題なかったのか。
実際にそのような傾向が、統計的に有意な結果が得られていれば、問題なかったのか。

 3.事実であったとしても
たとえ事実であったとしても、その根底に「女性が入っているから」との思い込みがあったのは事実なのか。
そのような思い込みのある者が重要なポストにいることが問題なのか。
たとえ事実であったとしても、女性蔑視と受け取られかねない発言はしてはいけない。
たとえ事実であり、理事会の運用に支障が出ていたとしても、女性問題にかかわりそうなことは、全て黙っていなければならない。
事実であるならば、個人を名指しして非難すれば良い。結果的に女性が多い分には問題ない。
結果的に女性が多いことが明白であれば、たとえ事実であったとしても、「女性」の言葉を使わなかったとしても、その発言は許されないのか。

 4.それを発言したことが問題
たとえ事実であったとしても、それを公の場で口にしたことが問題なのか。
たとえ事実であったとしても、女性蔑視と捉えられるような発言の仕方をしたのがいけなかったのか。
たとえ女性を蔑視していたとしても、それを隠すような配慮が出来ればOKなのか。

 5.そもそも、この発言は女性蔑視なのか
「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」が女性蔑視になるためには
・理事会に時間がかかることは、悪である
・理事会に時間がかかるのは、参加者のレベルが低いから
の2つの前提が満たされる必要がある。

「女性がたくさん入っている理事会は時間が短い」という発言なら、女性蔑視にならないのか。
「女性がたくさん入っている理事会は多数の意見が出る」という発言なら、女性蔑視にならないのか。
「女性がたくさん入っている理事会は活発な意見交換が行われ十分な討議が行われる」という発言なら、女性蔑視にならないのか。
そもそも「女性が」という言葉が入った発言は全て性差別であり、女性蔑視になるのか。
では「男性」という言葉が入った発言も全て性差別であり、女性蔑視になるのか。
「女医」「女優」「男性介護士」「女性パイロット」などの言葉が入った発言は、全て女性蔑視になるのか。

 6.性差別=女性蔑視なのか
男性蔑視になる発言はあるのか。
性差別に当たる発言で、男性蔑視になる発言はあるのか。
どんな発言であっても、性差別は必ず女性蔑視になるのか。

 7.なぜ「女性がたくさん入っていると、理事会に時間がかかる」のか
男性は要点のみを的確に発言するが、女性は自分の言いたいことを全部言わないと気が済まないから。
男性は殆ど発言しないが、女性は男性よりも多く発言する傾向があるから。
男性は殆ど他人の発言に反論しないが、女性は男性よりも他人の発言に反論する傾向があるから。
男性は意見を求められれば直ぐに言えるが、女性はなかなか意見をまとめられずにぐずぐずしているから。
男性と女性の考えた方や観点に違いがあるので、男性だけの会議よりも単純に2倍の意見が出るから。

8.それは、女性だからなのか

単純に理事会に「考え方の異なる者が多く参加」していれば、会議の時間が長くなるだけではないのか。

女性が多い=考え方の異なる者が多く参加している。に過ぎないのではないか。

そうだよ、それをあくまでも女性が悪いような発言をしているから、看過出来ないんだよ。と、そういうことなのか。

9.理事会に時間がかかるのは悪なのか
森会長と同年代の者ばかりの理事会なら、時間がかからないのか
理事会など義務感で出席している人の多い理事会なら、時間がかからないのか
理事会よりも、その後の会食が目当てで集まっている人が殆どの理事会なら、時間がかからないのか
理事会は事務作業なので特に何も変える必要などないと考えてるいる人の多い理事会なら、時間がかからないのか
熱意に溢れ多くの議論が交わされる理事会なら、時間がかからないのか
本当に社会を変えたいと思っている人々が集まる理事会なら、時間がかからないのか
慣例をそのまま踏襲すれば良いと思っている人が集まる理事会なら、時間がかからないのか
時間がかからない理事会=良い。時間がかかる理事会=悪。という単純な考え方に問題はないのか

ここまであえて「男性/女性」の言葉を使わずに書いたが、ダメダメな会議の描写で、あなたは男性ばかりの会議の場面を想像していなかったか。

だとしたらそこには、性差別的な思い込みがあったのではないのか。

私の思考は、完全に性差別と無縁であると、自信をもって宣言出来る者がどれほどいるのか。

10.森会長は辞任すべきか
本人は反省しているので続投で良い
本人は反省などしていない。即刻辞めさせるべき
反省していようとしていようとしていまいと、女性蔑視の発言を一度でもしたら、即刻辞めさせるべき
そもそも進退云々を騒ぐような問題ではない
それは甘い。そんなことがまかり通るのは日本だけ。
海外メディアの発言が全て正しいのか。
東京オリンピックのトップが女性蔑視発言」との煽り記事だとPVが稼げるから載せているだけなのか。

女性蔑視を糾弾することが正しいことであるから、そうしているのか。

女性蔑視する者の考え方を、改めさせることが目的なのか。
女性の敵は全て倒せの旗印の元に盲進することに疑念を感じないのか

11.森会長が辞任すれば、世の中が良い方向に進むのか

人にはそれぞれ、異なった価値観がある。

どの意見が正しくて、どの意見が間違っているのか。

白黒はっきり出来る場合と、そうでない場合がある。

殆どの人が片方の意見に賛同する場合から、ほぼ半々に分かれる場合まで、その割合は様々だ。

その一つ一つのケースについて、どちらが正しくて、どちらが間違っているのか。

そのジャッジをすることは、不可能である。

逆に可能であったとしても、それをする必要があるのか。

どちらが正しくて、どちらが間違っているのかをはっきりさせる。

その意図の根本には、自分が正しいと信じる旗印の元に、異なる意見を持つものを平伏さなければ気が済まない。との人間の性が露見している。

どちらかが、どちらかの意見に服従しなければ、社会は成り立たないのか。

人にはそれぞれ、異なった価値観がある。

どんなに気の合う相手であっても、「この事に関しては意見が異なる」部分は必ずある。

それを一つ一つ、どちらが正しいかをはっきりとさせ、どちらかにどちらかを服従させなければ付き合えないのであれば、人はもう誰とも一緒に暮らすことは出来ない。

肝心なのは、相手の立場や考えを理解し、尊重し合うことではないのか。

決して、自分の意見に相手を服従させることではないのではないか。

一時の勝利を得るたびに、大きな何かを失ってはいないか。

だとしても、今回に限って言えば、女性蔑視する者が正しいはずがない。

そう思われるかもしれないが、本人も女性蔑視をする意図はなかったと言っている。

そんなのは嘘だと決めつける。そんな人間がトップにいることが問題。

どんな理由であったとしても、自分と意見が異なる者を引きずり降ろそうする行為は、多数派の意見に少数派を服従させようとする暴力に他ならないのではないのか。

もう一度言うが、肝心なのは、相手の立場や考えを理解し、尊重し合うことではないのか。

森の考えを尊重しろと言っているのではない。

自分の瑕疵を認めている相手を、「それは本心ではない」と決めつけて、引きずり降ろそうとするその行為が、問題であると言っている。

どらが正しいか?それをはっきり出来ない問題の一つに宗教の違いがある。

どちらの神が正しいのか?

世界的な紛争の多く、過去から現在に至るまでの紛争の多くが、宗教が異なることに端を発しているのは、それがどちらが正しいかをジャッジ出来ない問題であるからであろう。

自分と考えが異なる者を、自分の宗派に改宗させなければ気が済まない。

自分と考えが異なる者を敵とみなし、排除しなければ気が済まない。

自分と同じ考えに、心から同意しない限り、許すことが出来ない。

そんな考え方がまかり通る限り、世界平和など実現するはずがないのではないか。

オリンピック憲章が重視するのはどちらなのか。

性的偏見を持つものを社会から排除することなのか。

意見の異なる者でも互いに歩み寄れる道を探すことなのか。

 

とは言え、普段の会議の場で、「それは女性蔑視です。」と指摘したところで、何も変わらないのも事実である。

今回の様な世間が注目する機会に発言することにより、大きな注目を集め、より良い明日への道を切り開くための、一歩を進めることが出来る。

我が国においては、今回の事例であったとしても、海外メディアの援護射撃がなければ、これほど世論を巻き込む結果になったかは、甚だ疑問だ。

 

「女が入るとめんどくせーんだよな。」と、そう思うものが上層部に多いことは確かだ。

だがそれは時として「若造がいるとめんどくせーんだよな。」との反応とも同じだ。

ことの根底にあるのは、単純な女性蔑視感だけではないし、ことあるごとに「女性蔑視」のみを取り沙汰していれば、「女が入るとめんどくせー」との認識を助長させるだけに終わってしまわないか。

 

世の中にはもっと実力勝負で、女性の地位向上に貢献している者も多い。

それなりの実力が必要だし、そこまでの信頼を勝ち取るためには、男であっても相当の努力と信念が必要だ。

どうか、そんな彼女達の、血の滲む様な日々の努力の妨げにならないで欲しい。

「だから女はめんどくせー」との、対立関係に持ち込んではいけない。

 

今後も森氏に会長の座に留まって、今回の件の反省から、女性の立場を向上させることに尽力して頂こうではないか。

 

それとも、「女性の立場を向上させること」に男性の力を借りることを推奨するのは、女性蔑視なのか?

 

森喜朗会長の発言は女性蔑視にあたるか?

 

■女性を蔑視しようとする意図が明らかだ。

■責任ある立場のものが、女性蔑視と捉えられるような発言をしたら、それは女性蔑視である。

■本心はどうでも良い。公の場で女性蔑視と捉えられるような発言をしたら、それは全て女性蔑視である。

■悪意があろうとなかろうと、その言葉を聞いて不快に思うものがいれば、それは女性蔑視である。

■外国メディアも女性蔑視と言っている。日本の男は頭おかしい。

■発言の内容よりも、オリンピック委員会の会長が、女性を蔑視していることが問題。

■ただの失言であり、謝罪もしている。何をそんなに騒いでいるのか不明。

■これを「ただの失言」と思っている者が一人でもいる限り、声を上げ続けなければならない。

 

テレワークで出勤者7割削減は可能か?

「テレワークで出勤者7割削減」

 

今回の非常事態宣言で聞かれる目標だ。

 

果たして、そんなことが可能なのか?

 

この目標値「7割」の根拠は何なのか?

 

この目標値「7割」が達成出来なかった場合、今回の外出自粛対策に与える影響はどれほどなのか?

 

「7割」が達成出来なかった場合、全てがムダになってしまうのか。

 

「7割」が達成出来なかった場合、外出自粛対策が目標とする成果が現れるまで、非常事態宣言の延長を繰り返すつもりなのか。

 

それとも「7割」が達成出来るまで、延々と非常事態宣言を延長し続ける必要があるのか。

 

4月の非常事態宣言時に、それなりに出勤者が減ったのは、テレワークの導入で、在宅勤務がスムーズに導入されたからなのか。

 

それとも「非常事態宣言」というかつてない事態に驚き、「この1ヶ月間は、何がなんでも出勤者を減らさなければならない」と、「1ヶ月であれば、何も仕事をせずに自宅に留まる者が出ても仕方ない。とにかく今は協力するしかない」と、かなりの無理をしていた事業者が多かったのか。

 

テレワークで出勤者7割削減は可能か?

 

■可能

・第一波の時に制度改革や機器を揃えてテレワークを導入し、それなりに出来ていたので、今回それが出来ないはずがない。

 

■守るべき

・人の命がかかっていることであるので、絶対に達成しなくてはならない。

 

■難しい

・第一波の時は政府の要請に従うために、何も働かずに自宅待機などの措置を取り、無理に出勤者を減らしていた。1ヶ月限定ならともかく、これだけ何度も実施することは難しい。

 

■不可能

 ・そもそも、接客業のみならず、製造業/車両の運転/機械操作/建設業/クリーニングなどなど、いわゆるブルカラーの在宅勤務は不可能である。

 ・全体で「7割」が必要なのであれば、在宅勤務が不可能な仕事に従事している者が、全体の3割である場合、残りの事業所では100%の在宅勤務を実施しなければならない。

・そもそも在宅勤務が不可能な仕事に従事している者が全体の3割を超えているのであれば、達成不可能である。達成させるためには、必要な者を、出勤してくれば仕事のある者を、自宅待機させる必要がある。

・この部分につていの保証は、一切議論されていない。

 

■従う必要なし

・コロナ禍の収束が失敗した時に、「国民の皆様の協力を得るのが難しかった」と、言い訳をするために政府や知事が言っているだけで、誰一人、そんなことが可能だとは思っていない。「基本再生産数」などの数式から導き出された論理値を、ただそのまま引用しているだけ。

 

ワクチン接種開始目標前倒しに、どれだけの効果が期待出来るのか?

NHKニュースによると、

 

菅総理大臣は、2日夜、総理大臣官邸で記者会見し、新型コロナウイルスのワクチン接種の開始時期について「できるかぎり今月下旬」としてきた目標を前倒しして、今月中旬を目指す考えを明らかにしました。

 

とのことである。

 

何のためにワクチン接種を行うのか?

 

「コロナに罹患する者を無くし、そしてそれによって失われる命を、一人でも多く救うため」

 

一見当たり前のようだが、今回の事態においては、もっと重大な目的がある。

 

「集団免疫を確立し、一刻も早く、経済を正常な状態に戻すこと」

 

後者の観点から見て、ワクチン接種開始日を2週間前倒しすることに、どれだけの効果が期待出来るのか。

 

人々が「マスクをする」などの基本的な行動は取ることを前提にしたとしても、飲食や旅行を始め、興行、買い物、あらゆる局面で何の制約もなく、経済活動を行えるようになるためには、全体の何割にワクチン接種が完了すれば良いのか。

 

5割か、8割か、9割か。

 

正確な割合は現時点で不明ではあるが、一定人数にワクチン接種が完了することが必要である。それは何万人レベルの話ではなく、何千万人単位であることは明らかだ。

 

5千万人か、8千万人か、9千万人か、1億人以上なのか。

 

肝心なのは、「いつ始めるか?」ではなく「いつ目標に到達出来るか?」である。

 

2週間早く接種を始めたことにより、2週間早く目標に達するのであれば、それなりの効果が期待できる。

 

だが、1万人に対して2週間早く接種出来たとしても、結果が同じであれば、現状打開に殆ど効果のないことに対して、大騒ぎしているに過ぎないことになる。

 

2・3日前のニュースにて、ワクチンの保管に必要な「超低温冷凍庫」について

「政府はディープフリーザーと呼ばれる超低温冷凍庫を各地の国公立病院に発送する作業を始めました。」

「政府は今後、一般向けの接種に向けて超低温冷凍庫およそ1万台を確保し、6月にかけて全国の自治体に配備する計画です。」

 

これだけを見ると、一般人に対する本格的な接種開始は、6月以降ということになる。

 

接種開始を2週間早めることに対して、どれだけの意味があると言うのか。

 

なぜ、2週間早めることにしたのか。

 

 

「対応が遅い」との非難から逃れるためと思われる。

 

その背景には「対応が遅い」と、政府を非難する声がある。

 

全体を見据えることなく、ただ国民に解り易いと言うだけの理由で、「政府の対応は遅い」と、非難する者。

 

せめて彼らに「ここをこうするべきではないのか?」との、接種開始を早める案があるのであれば、真摯にその意見を聞くべきである。

 

だがマスコミや野党の、自分達には何一つ策がないにも関わらず、ただ政府を責め立てるだけの態度は、どうなのか。

むしろ全体のスケジュールに支障を来す結果に陥ってはいないか。接種開始を2週間早めるために、どかに無理を強いているのであれば、その労力はもっと別の所に割くべきではないのか。

 

そう、政府が明確に発信できない日本社会の現状に、問題はないのか。

 

ワクチン接種開始目標前倒しに、どれだけの効果が期待出来るのか?

 

■効果あり

・周りから圧力をかけられないと、政府は本気で動こうとはしないので、野党のバッシングは非常に有益である。

・2週間早めれば、オリンピック開催のプラス要因になる。

 

■効果に期待したい

・日本が経済崩壊に陥る期限は、思ったより早いかもしれない。その2週間の差で、かろうじて難を逃れられる可能性がある。

 

■あまり効果なし

・2週間の間に数千人に接種出来たとしても、冷凍庫の配備や医師の確保などの要因で、本格的な接種が開始できる時期に影響はない。

・今、「いかにして接種開始を2週間早くするか?」を検討している労力を、「いかにして接種完了を2週間早くするか?」の検討に当てるべきではないのか。

 

■むしろ逆効果

・政府に対する批判をかわすために「2週間早く」を宣言しても、実際にその任務を遂行する機関なり業者なりに丸投げするだけであり、あまり意味のないことに対して無理を押して過剰な負担を与えるだけであり、今後重要な役割を果たす者を疲弊させるだけである。

・その結果は、接種の完了日を遅らせる事態を招きかねない。

 

「緊急事態宣言の解除は延期すべき」との専門家の提言を尊重すべきか?

「緊急事態宣言の解除は延期すべき」

 

専門がこう提言している。

 

彼らの言っていることは正しいのか?

それに従うべきなのか?

 

 この場合の専門家とは「医療崩壊を防ぐ」立場の専門家であり、彼らの提言は「いかに医療崩壊を防ぐか」との観点しかないし、彼らの仕事はそれであるので正しい。

 

だがコロナ対策には「医療崩壊を防ぐ」と「経済崩壊を防ぐ」のどちらをどれだけ優先するのかのバランスが求められている。

 

両立が不可能なことがはっきりしているので、どらかを優遇すれば、もう片方に不備が生じる。

 

最近のニュースはその「不備」の面のみを、ここぞとばかりに責め立てる傾向があるので、政府がどちの面でも失敗しているとの印象しか与えていない。

 

では「経済崩壊を防ぐ」立場の専門家の意見はどうなっているのか。

 

「経済崩壊を防ぐ立場の専門家」は、いるのかもしれないし、それなりの発信をしているのかもしれない。

 

だが、30分程度のニュースの枠では、前者の発言のみが取り上げられる。

なぜか?

 

そもそも「経済崩壊を防ぐ」立場の専門家がいるのか?

 

その前に「医療崩壊を防ぐ」立場の専門家は何を言っているのか?

 

良く聞くと、彼らが今言っているのは「コロナ禍を収束させるための方法」ではなく、「医療崩壊を防ぐための方法」でしかない。

 

患者が増えれば医療機関で対応しきれなくなる→患者の発生数を減らすことが必要→伝染病であるので人と人の接触を減らすことが必要→そのためには緊急事態宣言でもなんでもやって人が外出しないようにすることが必要

 

との、割と単純な理屈を言っているに過ぎない。

 

もちろん「経済対策」については彼らの専門外なので、彼らの提言には全く考慮されていない。

 

「我々の提言は医療面への提言である。経済面での提言は別の専門家に聞いて欲しい。そして、どちらをどれだけ優先させるかは、政治に任せる。」

 

その前提があっての彼らの発言である。それは全く正しい。

 

にもかかわらず、報道では「経済面での専門家」の意見が聞こえてこない。

 

聞こえて来るのは「外出自粛を継続すべき」との「医療面」での提言を実施した前提で、「経済面」で打てる対策は?

 

との、かなり限定された局面での、打開策を求められている。

 

なので政府がそれにみあった支援策を捻出するべきとの、どれだけ実行可能かを度外視した、平坦な意見しか出てこない。

 

「コロナ禍で人々が外出自粛してる中での経済対策の専門家」

 

そんな人は、いない。

 

「コロナ禍での外出自粛制限課が経済に与える影響の専門家」

「コロナ禍による経済崩壊からの復旧方法の専門家」

 

の提言は、どこから聞こえて来るのか。

 

今行われている提言が「経済面」を全く無視した上での「医療面」での提言であるのなら、「医療面」を全く無視した上での「経済面」での提言をすれば良いのではないか。

 

その双方を聞いたうえで、政府がそのバランスを考えた上での対策を打つべきであるし、それで犠牲になるもう片方の面についても、国民の理解を得られるように努力するべきだ。

 

だが、繰り返すが、今聞こえているのは「経済面」を全く無視した「医療面」からの提言だけである。

 

「緊急事態宣言の解除は延期すべき」との専門家の提言を尊重すべきか?

 

■従うべき「経済面」より人命が優先するのは明らかである。

 

■尊重すべき

失われた人命は取り戻すことは出来ないが、経済は後からなんとでもなる。

 

■別観点からの専門家の意見が必要

そもそも「医療面」からの提言であり、「経済面」からの提言と合わせて、落とし処を探さなければならない

 

■尊重する必要はない

「経済面」がどれだけ危機的な状況にあるのかが不明な状況で、「医療面」だけの提言を尊重するのは危険である。

 

■従わなくて良い

金銭的に困っていない偉い人が、建前を言っているだけなので、無視して良い。

入院拒否患者に刑事罰を科すことが、医療従事者の負担になるのか?

辻本議員が

 

「医療受持者が、それまで寄り添っていた患者を犯罪者として、通告することになり、負担がさらに増す」

 

ようなことを言っていた。

 

そもそもこれは、昨年の今頃から、「日本の法律では、感染症対策で、国民に強制が出来ない。」と、「それで、大丈夫なのか?」と、散々言われ続けたことへの対策が、1年経ってやっと形になるつつあることである。

 

そもそも今回のコロナ禍だけを見据えての話ではない。

 

大丈夫ではなかった。医療従事者の指示を守らず、入院拒否するものが続出した。

 

今回は、それほど危機的な状況にはならなかった。

 

だが、数年後に、もっと感染率と死亡率の高い感染症に襲われた場合、今の法律の枠組みの中では、対処不可能である。その時になって、また議論を始めたのでは、とても間に合わない。

 

との危機感から生まれたものだ。

 

「このままでは、ちゃんとした対策を実行したくとも、実行出来ない。」

 

医療受持者が寄り添っているような普通の患者は、適用範囲外であろう。

 

現行制度のままでは、病院が止めても無理に外に出ようとする人を、何の権限もない医療従事者が、どんな手段を使えと言うのか解らないが、止めなければならない。

 

それに対しての対策をはっきりとさせることで、医療従事者には医療を、他人を死に至らしめる行為を、止められているにも関わらず、守ろうとしない者(=犯罪者ではないのか?過失致死ではなく、結果が解り切っているので殺人罪に値すると思うのだが)をちゃんとした別機関で対応出きるようにしよう。というものだ。

 

感染者を全員前科者にしようとしているがごとくの物言いは、本来の趣旨をわざわざ曲解し、国民に対して政府への不信感を植え付けようとする、暴挙を通り越してもはや、犯罪ではないのか?

なぜ「人流」という言葉を使うのか?

「ジンリューを抑えることが肝心」

 

小池都知事がテレビで訴えていたが、テロップなしで「ジンリューを抑える」と言われ、何が求められているのか解る人が、どれだけいるのか。

 

「人の流れを抑える。」

 

冗長であるとも思えないし、これなら聞き間違いようがない。

 

誰の発案であるのか?

 

都知事レベルの記者会見を行う時、それなりのブレーンが居て、語句の選択や言い回しの一言一言まで、推敲が行われるのではないのか。

 

小池都知事がただ、インテリ振りたいだけなのか。

 

下請けの広告代理店なりの、それなりの専門チームが、驕り過ぎて廻りが見えなくなっているのか。

 

いずれにしても、「本当に、国民に協力して欲しいのか?」と、疑わざるを得ない。